インド系アメリカ人、ゴーゴリ・ガングリーの名前の由来は
彼の父親が若き日に愛読し、事故死を免れたときに手にしていた
ニコライ・ゴーゴリにちなんでつけられた。
彼はアメリカ風でなければインド風でもない変わった名前を嫌い、重荷に感じて改名する。
それは両親が執着する「インド的世界」そのものへの違和感でもあった。
日常のさりげない描写をわかりやすく丹念に積み重ね、静かに心に染み入る物語。
しかし、よく考えればかなり特殊な世界に住む人々の話である。
それは主人公がインド系アメリカ人だからではなく、
主人公を含め、彼の親や妹、アメリカ人の恋人とその両親、
後に主人公の妻となるインド系女性とその友人たちなど、
登場人物のほとんどがイェール、ハーバード、プリンストン、
マサチューセッツ工科大といったアメリカの名門大学や大学院を卒業し、
大学教授、建築家、弁護士といったエリート職業に就く人々だから。
著者本人も同じような境遇に生まれ育ったのだろうけど、
アメリカの平均的な庶民層(ブルーカラーやホワイトカラーでもエリートではなく、
ハンバーガーやTVディナーを食べてフットボールを観るのが楽しみ)が
この本を読んでもピンとこないだろうなと思った。(まず読まないだろうけど)
むしろゴーゴリの両親の生活信条やアメリカ感などは日本人の方が共感するだろう。
わたしにとっても登場人物たちの境遇はまるで別世界なのだが、
違和感を覚えさせず自然に感情移入させる筆致は見事だ。
ゴーゴリのアメリカ人の恋人・マクシーンとその両親のライフスタイルには憧れる。
マンハッタンで生まれ育ち、金持ちでインテリでリベラルな両親の間の一人娘である
マクシーンみたいな身分に生まれたかった!!!
~マクシーンは(中略)いまの自分とは違うものになりたいとか、
違う環境で育ってみたいとか思ったことはないらしい。
彼の見るところ、それこそが二人の大きな差なのである~
~彼女は書籍や絵画や共通の知人についてまるで友人同士のように両親と議論を交わし、
彼が親に対して感じてしまう憤懣はまったく存在していない。義務という観念もない。
この家では親が娘の行動を縛らないのに、娘は素直に幸福に親元で暮らしている~
最近、日本でも「ともだち親子」が多いけれどマクシーンの場合はスケールが違う。
ゴーゴリが彼女と両親の暮らしぶりに恋してしまう気持ちがよくわかる。
妻となったモウシュミのスノッブな親友たちに対してゴーゴリが抱く違和感や、
心がすれ違いつつある2人が久しぶりに外食した夜、
レストランが期待はずれだったというささいなことに神経を逆撫でされて
それを夫婦関係に投影してしまうモウシュミの心理描写は絶妙。
('04 11 25)